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YASUSHI TAKEDA

​武田保司

「僕のケーキは子どもが

 小銭を握りしめて買いに行く

 ”駄菓子”みたいなもの」

「アーティスティックで高価なものに昇華させるつもりはない。特別なものではなく、おやつとして食べる、駄菓子のようなフランス菓子を目指している。」と武田さん。

ラ・マドレーヌのケーキの数々はとても上品。駄菓子というのは少し失礼な感じがする。

「プリンで200円を超えるのはちょっと違う気がして...。」

 

 

武田さんは自分が食べたいなと思うものを好きなように作っているという。

もともと実家はお菓子の卸し。小さいころから職人さんを手伝っていた。ケーキは特別なものではなく日常。もちろん、将来はケーキ屋。当たり前に思っていた。

高校卒業後、専門学校を考えた。が、学費が高い。父親の知り合いでづてで千葉市川市のドルチア:Dolciaに修行に入る。ここでお菓子作りの”いろは”を教わった。

 

だけど、本音は...。

「東京に行ってみたい、遊びたい。ちょっとやったら、長岡に帰ろうって。」

でも、そこには「フランスに行く。」「お菓子を極める。」周りにいる先輩や仲間がカッコよかった。いつしか自分の目標になっていった。

「もっとフランス菓子を学びたい。」

 

 

ドルチアで働きながら、空いてる時間を見つけては、フランス菓子屋を回って歩いた。気に入ったお店を見つけると、公衆電話から「働かせて欲しい」とお願いしてみる。そんな日々の中で1つの偶然が起こる。

 

 

「来てみな」と声をかけてくれたのは、

 

世田谷のオーボン・ヴュータン:AU BON VIEUX TEMPS 

河田勝彦氏だった。

 

河田氏は日本におけるフランス菓子の第一者。普通は何年も待っての紹介か専門学校の成績優秀者のみしか受け入れてくれないような人。

 

「とても失礼なことをしたよね。後で知った。」と笑顔で話す。

3年を過ごし、自信がついた武田さん。いよいよ旅立つときがくる。フランス宛に手紙をだし、受け入れ先を探した。

できたてのミルフィーユ 

「この切れ端が一番の美味。ケーキ屋でよかった」と

 おちゃめな武田さん。

行き先はフランスではなかった。

 

そこは、最果てにちかいアルデンヌ地方、市民200人くらいの街にその店はあった。

 

ベルギーの有名店 ホテルレストラン 

ル サングリエ デ ザルデンヌLe Sanglier des Ardennes

その後、フランスで2年。

パリ16区 レストラン ルレドートイユ 

パリ13区 ブーランジェ パティスリー サンタネ

その後もビザがなく、見つかれば強制送還というギリギリの状態の中でお菓子作りを学び続けた。

フランス古典菓子の勉強。

『フランス菓子をやるからにはフランス人になれ』

食文化・宗教・芸術…土台となるものを遊びながら菓子を基盤にフランスの文化を見て歩くのが面白かった

フランス料理は砂糖を使わない。だからこそ、料理の後に口が欲しがる糖分をいかにとるか。砂糖をどう食べるか。これがフランス菓子だ。

帰国後、河田氏に相談した。

 

「やるなら、今やれ!」その言葉で決心がつく。

自分でやりたいことをやる。自分がみてきたものの中で最高のものを出す。長岡だからどうではなく、どこに出してもよいものを。

フランスのレストラン ラ・ピラミッドのマルジョレーヌを再現し、店に出した。ある日、お客さんが「ここでもフランスと同じものが食べれるんだね。」と喜んでくれた。わかる人にはわかる。だから、うそをつきたくない。とにかく本物を、自分の納得のいくものをやりたい。

おすすめはシブースト。

本場の味を記憶した舌が選んだ材料を惜しげもなく使い、日々最高の“駄菓子”を作っている。

 ラマドレーヌ

長岡市古正寺1丁目2816

0258-28-4882

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