NOBUYUKI NISHIYAMA
西山信行
花はいずれ消えてなくなる。でも、
想いはいつまでも残る。
そこがよい。
フローリスト西山さんはいう。
「花はいずれ消えてなくなる。でも、想いはいつまでも残る。そこがよい。」
そんな西山さんの心に残るひとつの想い出。
それは中学生のとき。
彼女の誕生日。レストランを予約し、一緒に食事をすることに決めた。
そして、当日。
予約をしたはいいが、持っていくプレゼントがない。待ち合わせまで時間がない。開いている店もない。
やっとのおもいでシャッターが少し上がっている一軒の店を見つけた。花屋だった。何とか花束を手に入れ、それを持って彼女のところへ行く。彼女は大喜び。
レストランで食事をした後、自転車を道端に止め、信濃川の土手でひと時を過ごす。夕方になった。名残惜しいが帰ることに。しかし、そこで問題が…。自転車のかごに入れていた荷物がない。置き引きだ。彼女はついに泣き出してしまった。
「新しいモノを買ってあげるよ」となだめるも、なかなか泣き止まない。彼女は言った。
「違うの。あの花がなくなってしまったのが悲しい」のだと。
こんなにも人の心を動かす花ってなんだろう?
高3の夏、進路に迷いはなかった。
本気で花屋を目指そうと地元の花屋に毎日通い、雇ってくれと懇願。そこで、東京に出ることを勧められた。
高校卒業後の19歳の夏、お金をためて東京へ花屋の修行に出る。まずはバイトをしながら修行先を探した。何軒もまわったが、なかなか雇ってくれるところがない。半年が経って、ある寺町の花屋が雇ってくれるというので、そこで働くことに。
東京にいる間に何軒かの花屋で修行するつもりで考えていた西山さん。南青山の花市場にいったときだ。あるデモンストレーションに魅せられた。それを主催していたナルセフローリスト。今まで生け花の先生などのために花を調達するというのが中心だった花屋を、ブティックにまで高めた先駆的な存在だ。そこに頼みこんで雇ってもらうことになった。
ドイツから有名なフローリスト、ウルズラ・ベゲナー氏を招いたレクチャーがあった。
赤いものをずっと見た後、視線を移すと緑の残像が残る。そんなふうに、人にはもともとバランス感覚が備わっているもの。
型にとらわれず、自分の感覚を大切にしなさい...。
月に1度は山に入り、自然に咲く花や木々を眺める。その季節ごとの美しさを頭に残すため。
「生け花」にあるようなルールに従い、綺麗に生けることはしない。自然の美しさをどれだけ表現できるかにこだわる。
全てこの時、学んだこと。
東京での修行のあと、長岡に戻り、28歳のとき、ガーネットをオープン。
「花屋になりたい」という信念を曲げずに来たここまでの道のり、出会い・仲間への感謝、さまざまな思いが形になった。
西山さんはいう。
「ラーメン屋みたいな花屋になりたい。」
あそこの店のスープはコクがあってうまいとか、さまざまなこだわりを持ってお客さんは見ているし、店側もこだわりをもってラーメンを作っている。花屋もそういう存在でありたいのだと。
花を贈るといっても、そのシチュエーションはさまざま。入院している人に贈るといっても、昨日入院したばかりなのか、それとも何年も入院しているのかでも違うし、目が見えるのか見えないかでも違う。
今日もお客様の話を聞きながら、その想いを花に込める。
FLORIST GARNET