KAZUTERU NAKAMURA
中村一輝
なによりも
コーヒーで
心地よく
「これからもっとコーヒーを楽しんでもらいたい。いろいろな
楽しみ方を発信したい。『コーヒーは飲み物』という枠組みにとらわれず、それも越え、新たな可能性を広げたい。」
と話すのはナカムラコーヒーロースターS の焙煎人
中村一輝さんだ。
小学校・中学校と目立つタイプではなかった。
塾にも通い、普通科の高校を目指した。
勉強も運動もとりたてて得意ではないが
あえて言うならば図画工作が好きだった。
高校でも夢中になれるものは見つからなかった。
ただ、勉強が好きではないということだけはわかっていた。
でも、大学への進学を選んだ。
「 単純に東京と大学という場所に憧れがあって」と中村さん。
政治や経済と言った社会分野の勉強が嫌じゃなかった。
単純な理由。大学はそれで決めた。
進学までに一浪を経験。
自分で自分を管理する難しさを学んだ。
深夜のラジヲ。唯一の楽しみだった。
大学はもちろん関東を選んだ。4年間の寮生活。寮にはたくさんの仲間がいて、中ではいつも面白いことが起こっていた。
そのころ再度確信する。勉強が好きではない。
授業に出る時間も少なくなっていった。
生活費を作るためにバイトに明け暮れる毎日。
寮生活4年目のある日。
共同の台所に先輩が残して行ったであろうコーヒーを淹れる道具が置いてあった。仲間と適当な豆を買ってきて、お湯を沸かし、はじめて自分でコーヒーを淹れてみた。
「淹れ方なんて、あったもんじゃない。」
でも、これが美味しかった。今でも覚えている。
趣味「コーヒー」が誕生した瞬間だった。
大学が終わり、就職をした。
食品や介護の仕事に就き、人として多くの大切なことを学んだ。でも、何かが違っていた。
休日は喫茶店、カフェを回る日々。
自然とコーヒーの仕事を探すのが日常になっていた。
趣味としてではなく、仕事として挑戦してみたいという気持ち
が日に日に増していった。
コーヒーの世界は知れば知るほど奥が深い。
普段、何気なく飲んでいる一杯のコーヒーだが、
多くの人が関わっていることを知った。
生産者、エクスポーター(輸出者)、バイヤー、焙煎人、バリスタ等々。
コーヒーの世界では
豆の生産者である農家が7割
その豆を煎る焙煎人が2割
そして、抽出が1割
この割合でコーヒーの味を決めると言われている。
当時、通ったお店はほとんどが自家焙煎のコーヒー店。
そこには焙煎機があり、マスターが忙しそうに焙煎をしている
姿を見てきた。
この焙煎をしている人がコーヒーのすべてを司っているように
思えてコーヒーの仕事をするならば「焙煎人」
これが憧れになっていた。
そんな日々の中、あるブログに「焙煎人募集」の記事が載っていた。それが、コーヒーの世界に入るきっかけとなった、丸山珈琲の代表、丸山健太郎さんのブログだった。
丸山さんは、コーヒー生産国で毎年開催される国際品評会に世界で最も多く参加している国際審査員であり、丸山珈琲のバイヤーとして、年間150日近くを海外で過ごすような人。
珈琲の世界での本物の人。
迷うことなく、申し込んだ。
「会おうよ」と言われ軽井沢へ行った。それが面接だった。
まだ右も左もわからない自分に一所懸命、自分の思いを伝えてくれた。もちろん、働かせて欲しいと頼んだ。
しかし...待てど暮らせど返事が来ない。諦めきれずにこちらから連絡を取った。
「あのとき、もしかしたら、ぼくのことを忘れていた?かもしれない。」と笑顔の中村さん。
その積極性もあり、丸山珈琲での仕事が決まる。
コーヒーを一生の職業にすると覚悟を決めて軽井沢へ。
最初は、カフェの手伝いや、全国への豆の発送など、焙煎とは
遠い仕事をして過ごした。
半年過ぎた頃、焙煎に触れた。
初めて自分で焙煎した豆で淹れたコーヒーは不味かった。
いや、美味しい、不味いもわからなかった。
丸山珈琲では、新しい豆を仕入れては、味を取って発表する。
最初は味が取れなかった。適当なことを言っては否定されてき
た。最終宣告を受けたことだってある。だけど、丸山さんにし
がみついていった。
丸山珈琲での焙煎は戦争だ。とてつもない量の焙煎を1日でこなす。他の珈琲店の焙煎人が「通常の店の1年分を1日で焙煎している」と例えたくらいだ。
7年間、黙々と焙煎をし続けた。味を取り続けた。
いつか、丸山さんに味のとり方が近づいてきた。
焙煎に対するぶれない自信が生まれていた。
味をとる:香りや味わいをことばで表すこと。
その頃、人生のパートナーと出会い。 結婚する。
丸山珈琲でバリスタとして働いていたアヤコさんだ。
「この人と一緒にお店をやりたいと思ってた。自分の焙煎したコーヒーをこの人に淹れてもらいたい。この人が淹れてくれるコーヒーなら、自信を持って提供できる。」
いつも裏方からアヤコさんをみていた中村さん。
「スゴイな」と思っていた。
自分の作ったものアヤコさんを通してお客さまに提供してもらいたいという「信頼」があった。
淡々と話す中村さんの言葉を聞いて
そばで、お菓子づくりを黙々とこなすアヤコさんの頬が緩む。
こちらも少し照れてしまう。
そこから、街探しがはじまる。長野、栃木、東京、神奈川、新潟など休みの日を使って、歩いてまわった。
そんな中、与板と出会った。
三条出身の中村さんも、特に与板をよく知っていたわけではない。けれど、見に来たその日で即決した。
城下町のおもむきや街の大きさなど気に入ったところは数えきれない。けれど、なによりも与板の人がよかった。
「よそ者の自分たちを街の人たちがいろいろと助けてくれて。
とても安心感がある。本当に、なによりもありがたいんです。」と中村さん。
街の一部として動きはじめたナカムラコーヒーロースターs。
平日は地元のおじいちゃんおばあちゃんのデートの場、土日は遠方からコーヒー通や若者が多く集まる。客層はおもしろいほど、幅広い。
お客さんたちの顔は皆、心地よさそうだ。
「今まで裏方だった中村さんが今、地域の方と交流をしている 姿が新鮮で」と笑顔で話すアヤコさん。
心地よさのヒミツが見えたような気がする。