HIROYUKI KUNORI
九里裕之
「お客様が喜ぶ顔が見たい」
そのために,ただただ真摯に
家具を作り続ける。
長岡市福島町。田園に囲まれた集落の中のとある農作業小屋。そこが九里家具製作所の工房である。
工房に入ると、学校の技術室でみたような機械、材料木々 、そして製作途中の家具たち。
その中の一枚。
パンをこねるための台。
一見、ただの板のようにも見えるが,端に横木をはめて板の反りを防ぐ「はしばめ」という工法が使われているとのこと。角を45°で合わせるホゾなど、難易度が高いそうである。こういうと失礼であるが、 単なるこね板にこれだけの凝った細
工とは、「粋」である。なんでもないようなシンプルなものほど,細部のバランスが全体の印象を大きく左右する。目に見えないところこそ大切であり,そこがものづくりの深さであり,面白さなのだろう。
ご自宅にもお邪魔させてもらい,お話をうかがう。
インテリア雑誌をよく見ている人なら一度は目にしたことがあろう、あの大阪の「TRUCK」で7年間家具製作にたずさわり、独立。
そのプレッシャーたるや、ただならぬ覚悟であったにちがいない。そして、選んだのがこの長岡。
そこにはこの地に何か成し遂げようとする、なみなみならぬ思いもあっただろう。そう思って、長岡に工房を構えた理由をたずねる。
「長男だったからです。」
「・・・。」意表を突かれた。
「『長岡のために』とかって感じでは考えてないんですよ。」
「・・・。」さらに意表を突かれた。
後日,あらためて今に至る経緯を聞いてみた。
とりわけて家具に興味があったわけではない。高校卒業後,東京の大学に進学。専攻は中国語だった。
卒業後は長岡にもどり,一般企業に就職。しかし,次第に会社員としての生活に疑問を感じ始める。
何かを探すように,市立図書館に入り浸るようになる。
そこで,偶然手にとった一冊の本。
木工職人の本だった。
すぐに資料を取り寄せ,長野県にある木工の専門学校に入学。ひとつの目標に向かい仲間と切磋琢磨する日々は何とも言えない充実感に満ちあふれていた。
その後は学校のツテで大分の工房に就職。収入の大半は家具というよりは小物の販売によるところが大きかった。そこで,専門学校時代の仲間の薦めもあり,大都市の家具製作所を回ってみることに。そこでたまたま見つけたのが大阪の「TRUCK」だった。
長岡・東京・長野・九州・大阪と,日本各地をまわった。長岡に戻ってきたのは,工房として使える作業小屋が実家にあったから。 それだけのこと。
家具を作れるのなら、場所はどこでも構わない。お客様が喜ぶ顔が見たい。そのために,ただただ真摯に家具を作り続ける。
取材当日は,ご自宅に置かれた家具の間をぬうように,娘さんが元気いっぱいかけまわっていた。みんなが笑顔になる。
中越地震から7年。昨年は東日本が計り知れない自然の驚異に見舞われた。節電などにみる省エネ意識の高まり。さらには、つながりを意識し、「絆」を慈しむようになった。これまでの大量消費社会が生み出した豊かさとはなんだったのだろうか。
モノから人へ、そして人から人へと、新たな絆が広がっていく。家具を通じ、生活そのものが形作られていく。本当の「豊かさ」を目指し,「nine」の挑戦は続く。
nine / 九里家具製作所